all about my Shukatsu

就活がおわりました。

これまでの気持ち、そして今の気持ちを正直につづりたいと思います。

 

はじまる前は、すごく不安がありました。というのも、まわりの人たちは、勉強において優秀なだけでなく、就活においても用意周到な人たちばかりで、彼ら彼女らはかなり早い段階から就活を始めていました。

 

学部あるいはロー二年次サマクラに行き、それぞれの事務所の内実を把握し、自らに適する事務所はどこか、およその見当をつけていました。

また、採用担当の先生に自分を売り込むことにも成功していました。

 

他方で、わたしはというと、

サマクラに行くこともなくのらりくらりと夏休みを過ごし、とくに自分のキャリアについて深く考えることもなく、漫然と勉強だけをしていました。

 

ヨンダイ、キギョーホウム、エムエー、キャピタルマーケッツ

ウィンターでは、数々の聞き慣れない言葉が飛び交い、なかば呆然としました。

知らない世界がそこにありました。

それでもわたしは、それらから逃げてきました。それらにいまいち興味が持てなかったというのが正しいのかも知れません。

 

そんなこんなで、いざ就活解禁、となると、

言いようのない不安が押し寄せてきました。

わたしは、ほんとうに大手に行くべきなのか。

そんな疑問の一方で、大手への就職に対する家族からの期待を裏切るわけにもいかない。

文字通りの板ばさみ状態でした。

 

まわりとも比較しました。

 

スーツを着て、ぴしっと、はっきりと、堂々と企業法務について話す同期の学生たち。

他方で、わたしは、自分に自信もなければ、ウソや建前も苦手だから、自分をうまく(あるいは誇張して)アピールすることもできない。

それに加えて、自分はまわりと比べてかなり出遅れているし、成績が飛び抜けていいわけでもない。企業法務について知識もなく、個別訪問したところでうまく受け答えできるかもわからない。


もし自分が採用する側だったら、自分のような学生はまず選ばない、とさえ思っていました。

 

圧倒的就活弱者。こんな状況ではじまった就活ですが、初日の訪問先で、若手の先生に不安をすべて吐露する機会があり、そこでひとつの命題を手に入れました。

取り繕うことなく、ありのままの自分でいいのだ、と。

 

というのも、弁護士の先生は、リクルートの場において大変怖い存在でした。本心を読み取るのがおよそ不可能なのです。

だから、相手の本心を探り、それに従い適切と思われる対応をするという、これまでのわたしの人生のストラテジーがまったく通用しないのです。

緊張もあいまって、わたしはどのように振る舞えばよいのか分からず、焦りました。

そんなことを正直に若手の先生に訴えたところ、どんなに取り繕ったところで見破られるし、仮にバレなかったとしても、入ってから苦労する、と言われました。

だからありのままでやればいいと。

取り繕って就活をしても、結局ハッピーにはなれないのです。

一皮むけて、ある意味開き直って就活することを決めました。

 

そして、最後は直感でした。

いままで悩んでいたことをすべて差し置いて、その場で、勢いで、いっしょに働きたいです、と言いました。

 

ある先生が、このようなことを言ってました。

人間の頭には思考1と思考2があって、簡単に言えば右脳と左脳。

まず思考1で、経験則や五官から得た情報を分析して、直感的に判断をする。次に思考2で、その思考1による判断を理性でチェックし、適宜是正する。

直感を大事にしてね、というのが話の趣旨だった気がしますが、わたしはその話にひどく感銘を受けました。

 

大人になればなるほど、思考2の働きが強くなっていくように思います。

SNSを通じていろいろな情報が即時に入ってきます。たくさんの考慮要素があります。こうあるべきだという理想もあります。人とも比べます。

そして幸か不幸か、人間にはそれらを緻密に比較考慮し、検討する知能が備わっています。

だから、とくに頭でっかちなわたしみたいな人間においては、思考1はだんだんと頭のはじっこに追いやられてしまうのです。

そして、いろいろな悩みというのは、肥大した思考2によって生じるのです。

 

就職先という、人生において重要であろう判断を、直感で決めてしまって本当によかったのだろうか。

いまの気持ちとしては、これでよかったという気持ちと不安の半々です。

 

就活の半ば、わたしにはやはり企業法務は向いていない、と思ったことがありました。

バリバリ働きたいわけではない。本当に自分のやりたいことは他にあるんじゃないか、と。

就活をしていても、先生たちは、わたしの人生のためではなく、事務所の利益のためにリクルートしているのだと感じずにはいられませんでした。

しかし、それは当然です。ビジネスですから。

わたしは、ビジネスの世界に飛び込むことに躊躇していたのです。

 

そんな違和感を抱かなかったのが、内定を受諾した事務所でした。


その事務所は、うちはこうだよ、ということを包み隠さず教えてくれて、あとは、わたし自身の考えに耳を傾けてくれたのです。そして、哲学的な話をしました。小難しいビジネスの話はしませんでした。


なんで紛争解決に興味があるの?原体験は?


先生の話を聞けば聞くほど、ここで働きたいと心が踊りました。純粋になれました。食事の場は就活であろうと、そこでわたしはただの人間で、キャリアだとか法律うんぬんではなく、学問的興味関心に取り憑かれたひとりの子どもでした。


わたしの原点は、哲学にあります。

よく覚えています。高校生のころ哲学に出会って、はじめて学問に夢中になりました。

それまで勉強なんてまったくせず、ゲームに明け暮れていました。いま思うと、学校で教わる勉強よりも、RPGから教わる哲学に魅了されていたのかもしれません。

当時は現代社会、倫理といった科目で哲学を学びました。はじめて勉強が楽しいと思えたのです。

大学受験も、大学での勉強も、法律の勉強も、すべて、そこから始まりました。


ただ、こうした紐付けはすべて後付けにすぎません。あの場での決断は、ほんとうに直感でしかありません。

なぜか分からないけど、先生の話は、なんの猜疑心ももたずに、素直に聞くことができました。この方についていけば大丈夫だと信用できました。

 

就活を始めるまでは、業務分野だとか働き方ばかりを気にしていたのですが、

いざ終えてみると、人であったり雰囲気であったり、ソフト面で決めたということになります。


いつにおいても、人生のだいたいの決断はそんなものなのかもしれません。

どこまでも理屈を突き詰めたところで、直感に勝ることはないのかもしれません。


実はいま、松本に向かう車内にいます。窓から見える風景は、緑がいっぱいです。それも、6月のじめっとした緑です。曇り空ですが、雨は降っていません。


晴れ晴れしい気持ちにはなれません。

不安がないといえば、うそになります。自分の直感を信じきれない自分がいるからです。


いま目の前を流れていく景色は、そんな今の自分の心情に似ています。


ただ、どんどんと特急列車が先に進むにつれて、いろんなことがどうでもよくなっていくのです。たとえば、ハンカチを忘れてしまったこととか、東京で悩んでいたこととか。


旅とは、いいものですね。まだ始まったばかりですが。


これから先、

いろんな人に会って、いろんな気持ちになりたい。

いろんな本を読んで、いろんなことを考えたい。


いまはそう思います。